人類の指針
なんて大それたタイトルだ。
しかし、私には日ごろ人類の行き先はどこで何なのだろうと考える時がある。
3.11があったのにまだ原発は幅を利かしているし、原発の周辺には
「より高い堤防を!!」
という人が湧いて出る。
そもそも原発なければいいではないか…とういう市民の希望は完全に無視をされ、
70年代日本は原発なくてもやっいけてたことには焦点をあてられない。
ロシアみたいに隕石が落ちてきたらどうするんだ。
それだって起こらないとも限らない。
だって「予測不可能な」自体じゃないか。
それらはまるでみんな集団催眠にかかったように考えてないところが私には恐ろしい。
しかし、インド古代叙情詩マハーバーラタでは、シバ神が人間に武器を与えているではないか。
マハーバーラタは今から8000年前くらいの話だったと思うが、それを思い出すと、人間の進化には苦難が必要とされてたのかな…とも思えて変な気持ちだ。
…いや、もう苦難は結構です。
もっと別の進化の道があるはずだ。
最近読んだ本。
最近読んだ本のタイトルは「女36歳からでもキャリアは作れる」という本。
面白かった。
要は人生という与えられた時間の中で、果敢にチャレンジしろというメッセージを受ける内容で、
筆者の実体験を綴った本にはかなりの説得力があった。
あらすじは主婦のダンナが失踪後に苦労して残された三人の子供を育て、大学にもやり、何回かの転職の後に大学教授になるという流れ。
その中でもちょっと意外だったというか、この筆者も普通の女性なんだと思った部分は
このお方が「よく占いに行った」と書いていたところだった。
やっぱり働く女性にも占いはうっぷん晴らしになるし、心のより所になるだろう。
わかるなと思う。
わ、わたしも占いに行かなくては!?
ホームページを制作してみて
ホームページをつくることは、自分の脳みその整頓だったと思う。
何にも知らない割にはまあまあ出来たのではないかと思う。
毎日、ああだこうだとやった甲斐はあった。
やれやれ。
シュタイナー教育
この教育には大変興味があって、本はちまちま読んでいた。
最近気をつけてTVを見るようにしているが、そのなかでも興味深い番組があった。
それは整形番組で、その中の人造美女のコメントはとりわけ興味深く印象に残った。
「子供の頃、フランス人形になりたいと思った。」
と整形の動機を述べていた部分には、私にとってシュタイナー教育を思い出させたからだ。
シュタイナーでは、子供に完璧な容姿の人形を与えることは、「お前はこのように完璧な美貌にならなければならない」という魂に罰を与える行為と考えるので、人形などは布で手作りする。
布で作られ完璧ではない人形は、子供に想像の余地を与え、有りのままの自分を受け入れ愛する許容量を育むということだ。
そうすることで、自分を愛し、他人も愛する人間性が形成される。
私は番組を見ていて、この部分の実例をみたと見たと思った。
自分を愛することなく、永遠に続くような自虐行為の果てには何が待っているのだろう?
人それぞれの人生の課題と経緯は千差万別なので、なんとも言えないが、ちょっと考えてしまった。
迷い猫「フワフワ」
ウチには迷い猫が居る。
いや、捨て猫かもしれない。そう、捨て猫だろう。
一ヶ月くらい前に、家の前の様子を伺っていた、時代遅れの地上げ屋風パンチパーマのオヤジが捨てていったと考えている。
だってその日からその猫が現れるようになったのだ。
その猫はフワフワと毛が長く(だからとりあえずフワフワと呼んでいる)
大きくおとなしい性格。
「これって、、、メインクーンじゃないのか。。。?」
と、その無駄によい毛並みと大きな様子で思った私は調べてみた。
ああやっぱりそうだ!
そしてその高級猫は、外猫状態で私にエサだけもらっている。
だって、家には近所の家から脱走してきたブサイク猫が居候しているんだ。
家の中にはあげられない。。
もー!困るよ。
すでに懐かれてしまったじゃないか。
「風と共に去りぬ」を再び見て
ここ数週間、パソコンに向かうときはずっとこの映画をながら見している。
クラーク・ゲーブルが歯が悪くて口臭がきつかったり、ビビアン・リーがもう子持ちだったりしても、
この仮想現実はすごい出来栄え。
インド人学生にこの映画を説明したら私の英語に問題があり、「Gone without Wind 」(風抜きで去りぬ)と解釈され、一瞬で映画が根本から変わってしまって大笑いしたことを思い出した。
まだ、インド人の視点からは「また白人至上主義か!だいたい西洋人はだな…」とインド人ならではの視点もあったっけ。
自分が大人になってみれば、主人公スカーレットは相当な勇気の持ち主で、頭の回転の速い人物なので、平凡な幸せの中にいるとすぐ飽きてしまうタイプなのかとわかった。
それで、自分を振り返らない獲物アシュレーを追いかける=常にわくわくヒヤヒヤ。
しかもそのアシュレーは優柔不断なダメ男=はっきり言えない。責任回避男。=スカーレットはいろいろ勝手に解釈できる隙を見る。
そして全てを承知して信頼していたメラニー。すごいな。
ふんふん。なるほど。
私は最後は元鞘だと思います。娘ボニーが5歳まで育つ間いい時間があっただろうし。
人間は何処に向かっているのかとよく考えます。
成長し変化するのが自然の摂理なのだから、人間も変わらないようで変わって行っているはず。
きっと「2012年は何かが起こる!」と散々巷で言われ、脅かされたようなことが起こるとは考えら
れにくく、毎日少しずつ変化していくような、「調整されていく」という感じなのだと思う。
毎日おんなじようで、何かが変わってゆき、その積み重ねで数年後には後を振り返って見れば
「あ~こんなに変わったのか」と思えるものになるのだろう。
大事なのはどういう未来にしたいかと「今」考える、この想念ということかなと思う。